吉田藩

   建築と街並み秋田県の城下町愛知県の城下町>吉田藩
吉田藩概要
吉田藩概要: 慶長5年(1600)、松平家清が3万石で入封し吉田藩を立藩します。慶長17年(1612)、2代忠清が死去、嗣子が無かった為、改易となり深溝藩(愛知県幸田町)から松平忠利が3万石で入封。寛永9年(1632)、2代忠房が刈谷藩愛知県刈谷市)に移封になると水野忠清が4万石で入封。寛永19年(1642)に忠清が松本藩長野県松本市)に移封になると田中藩静岡県藤枝市)から水野忠善が4万5千石で入封。正保2年(1645)に忠善が岡崎藩(愛知県岡崎市)に移封になると、杵築藩(大分県杵築市)から小笠原忠知が4万5千石で入封。元禄10年(1697)、4代長重が岩槻藩(埼玉県さいたま市岩槻区)に移封になると亀山藩(京都府亀岡市)から久世重之が5万石で入封。宝永2年(1705)に重之が関宿藩(千葉県野田市関宿)に移封になると牧野成春が8万石で入封。正徳2年(1712)、2代成央が延岡藩(宮崎県延岡市)に移封になると古河藩茨城県古河市)から松平信祝が7万石で入封。享保14年(1729)、信祝が浜松藩(静岡県浜松市)に移封になると松平資訓が7万石で入封。寛延2年(1749)に資訓が浜松藩(静岡県浜松市)に移封になると松平信復が7万石で入封します。以後松平家が吉田藩主を歴任し明治維新を迎えています。
  スポンサーリンク
 

吉田藩歴代藩主
 藩主名藩主年間石高備考
初代松平家清1600〜1610年3万石 
2代松平忠清1610〜1612年3万石 
初代松平忠利1612〜1632年3万石 
2代松平忠房1632年3万石 
初代水野忠清1632〜1642年4万石 
初代水野忠善1642〜1645年4万5千石 
初代小笠原忠知1645〜1663年4万5千石 
2代小笠原長矩1663〜1678年4万石 
3代小笠原長祐1678〜1690年4万石 
4代小笠原長重1690〜1697年4万石 
初代久世重之1697〜1705年5万石 
初代牧野成春1705〜1707年8万石 
2代牧野成央1702〜1712年8万石 
初代松平信祝1712〜1729年7万石 
初代松平資訓1729〜1749年7万石 
初代松平信復1752〜1768年7万石 
2代松平信礼1768〜1770年7万石 
3代松平信明1770〜1817年7万石 
4代松平信順1817〜1842年7万石 
5代松平信宝1842〜1844年7万石 
6代松平信璋1844〜1849年7万石 
7代松平信古1849〜1871年7万石 

吉田藩
吉田藩:町並み 吉田藩:町並み 吉田藩:町並み 吉田藩:町並み 吉田藩:町並み
吉田藩:町並み 吉田藩:町並み 吉田藩:町並み 吉田藩:町並み 吉田藩:町並み
吉田藩城下町:名所・旧跡
吉田城
吉田城
吉田城
吉田神社
吉田神社
吉田神社
全久院
全久院
全久院
豊橋神明社
豊橋神明社
豊橋神明社
臨済寺
臨済寺
臨済寺

愛知県の城下町一覧表
名古屋市(尾張藩):−城下町
・名古屋城・大須観音・万松寺・興正寺・相応寺・建中寺・東照宮・
那古野神社・主税町長屋門・蓮左文庫
岡崎市(岡崎藩):−城下町
・岡崎城・伊賀八幡宮・松応寺・随念寺・大林寺・六所神社・大樹寺
刈谷市(刈谷藩):−城下町
・刈谷城・市原稲荷神社・十念寺・椎の木屋敷・楞厳寺
豊橋市(吉田藩):−城下町
・吉田城・吉田神社・全久院・豊橋神明社・臨済寺
西尾市(西尾藩):−城下町
・西尾城・伊文神社・御剣八幡宮・盛巌寺
豊田市(誉母藩):−城下町
・七州城・桜城・洞泉寺
田原市(田原藩):−城下町
・田原城・城宝寺・長興寺・龍門寺・崋山神社

※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。写真や文章のコピーは行わないでください。