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田原藩概要: 慶長6年(1601)、戦国時代当地を治めた戸田一族である戸田尊次が丸岡城(福井県坂井市)攻略で功があり1万石で入封し田原藩を立藩します。戸田家は3代田原藩主を世襲しましたが、寛文4年(1664)、3代戸田忠昌が富岡藩(熊本県天草郡苓北町富岡)に移封となります。代わって挙母藩(愛知県豊田市)から三宅康勝が1万2千石で入封、三宅家は12代に渡り藩主を世襲し明治維新を迎えています。三宅家は古くから三河に土着した名族で、逸早く松平元康(徳川家康)に従った為、通常2万石以上とされる城主格を得ました。その為、石高に対して出費が嵩み財政難が慢性化し、天保3年(1832)に家老となった渡辺崋山は財政改革を断行し天保の大飢饉でも餓死者を出さなかったという功績をあげました。幕末には頓挫したものの蝦夷開発に力を入れ、交易で利潤を得る為、大型帆船である順応丸を建造しています。戊辰戦争の際、藩主三宅康保が幕府側を主張しましたが、家老である渡辺諧(渡辺崋山の次男)などの説得により官軍に組しました。
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田原藩歴代藩主
| 藩主名 | 藩主年間 | 石高 | 備考 |
初代 | 戸田尊次 | 1601〜1615年 | 1万石 | |
2代 | 戸田忠能 | 1615〜1647年 | 1万石 | |
3代 | 戸田忠昌 | 1647〜1664年 | 1万石 | |
初代 | 三宅康勝 | 1664〜1687年 | 1万2千石 | |
2代 | 三宅康雄 | 1687〜1726年 | 1万2千石 | |
3代 | 三宅康徳 | 1726〜1745年 | 1万2千石 | |
4代 | 三宅康高 | 1745〜1755年 | 1万2千石 | |
5代 | 三宅康之 | 1755〜1780年 | 1万2千石 | |
6代 | 三宅康武 | 1780〜1785年 | 1万2千石 | |
7代 | 三宅康邦 | 1785〜1792年 | 1万2千石 | |
8代 | 三宅康友 | 1792〜1809年 | 1万2千石 | |
9代 | 三宅康和 | 1809〜1823年 | 1万2千石 | |
10代 | 三宅康明 | 1823〜1827年 | 1万2千石 | |
11代 | 三宅康直 | 1828〜1850年 | 1万2千石 | |
12代 | 三宅康保 | 1850〜1871年 | 1万2千石 | |
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田原藩 |
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田原藩城下町:名所・旧跡 |
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