西尾藩

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西尾藩概要
西尾藩概要: 慶長6年(1601)、本多康俊が2万石で入封に西尾藩を立藩、元和3年(1617)康俊が膳所藩(滋賀県大津市)に移封になると板橋藩(栃木県日光市)から松平成重が2万石で入封。元和7年(1621)に成重が丹波亀山藩(京都府亀山市)に移封になると膳所藩から本多俊次が3万5千石で入封。寛永13年(1636)に俊次が伊勢亀山藩(三重県亀山市)に移封になると、寛永15年(1638)に山川藩(茨城県結城市)から太田資宗が3万5千石で入封。寛永21年(1644)に資宗が浜松藩(静岡県浜松市)に移封になると、正保2年(1646)に安中藩(群馬県安中市)から井伊直好が3万5千石で入封。万治2年(1659)に直好が掛川藩(静岡県掛川市)に移封になると増山正利が2万石で入封。寛文3年(1673)、2代増山正弥が下館藩(茨城県筑西市)に移封になると、土井利長が2万3千石で入封。延享4年(1747)、4代土井利信が刈谷藩愛知県刈谷市)に移封になると、三浦義理が2万3千石で入封。明和元年(1764)に2代三浦明次が勝山藩(岡山県真庭市)に移封になると山形藩山形県山形市)から松平乗祐が6万石で入封。以後、大給松平家が5代西尾藩主を歴任し明治維新を迎えています。
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西尾藩歴代藩主
 藩主名藩主年間石高備考
初代本多康俊1601〜1617年2万石 
初代松平成重1617〜1621年2万石 
初代本多俊次1621〜1636年3万5千石 
初代太田資宗1638〜1644年3万5千石 
初代井伊直好1645〜1659年3万5千石 
初代増山正利1659〜1622年2万石 
2代増山正弥1662〜1663年2万石 
1代土井利長1663〜1681年2万3千石 
2代土井利意1681〜1724年2万3千石 
3代土井利庸1724〜1734年2万3千石 
4代土井利信1734〜1747年2万3千石 
初代三浦義理1747〜1756年2万3千石 
2代三浦明次1756〜1764年2万3千石 
初代松平乗祐1764〜1769年6万石 
2代松平乗完1769〜1793年6万石 
3代松平乗寛1793〜1839年6万石 
4代松平乗全1839〜1862年6万石 
5代松平乗秩1682〜1871年6万石 

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