田中藩

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田中藩概要
田中藩概要: 慶長6年(1601)、酒井忠利が入封し田中藩を立藩、慶長14年(1609)忠利が武蔵川越藩に移封になると廃藩となり駿府藩に組み込まれ、寛永10年(1633)に松平忠重が佐貫藩から3万石で入封後、寛永12年(1635)に掛川藩に移封、水野忠善が山川藩から4万5千石で入封後、寛永19年(1642)に吉田藩に移封、松平忠晴が2万5千石で入封後、寛永21年(1644)に掛川藩に移封、北条氏重が関宿藩から2万5千石で入封後、正保5年(1648)に掛川藩に移封、西尾忠昭が土浦藩茨城県土浦市)から2万5千石で入封、延宝7年(1679)に2代西尾忠成が小諸藩長野県小諸市)に移封、酒井忠能が4万石で入封後、天和元年(1681)に改易、天和2年(1682)に土屋政直が土浦藩(茨城県土浦市)から4万5千石で入封後、貞享元年(1684)に大坂城代として移封、太田資直が5万石で入封後、宝永2年(1705)に2代太田資晴が棚倉藩福島県棚倉町)に移封、内藤弌信が5万石で入封後、正徳2年(1712)に大坂城代として移封、土岐頼殷が3万5千石で入封後、享保15年(1730)に2代土岐頼稔が大坂城代として移封、本多正矩が沼田藩群馬県沼田市)から4万石で入封すると藩主が固定され本多家が7代続き明治維新を迎えています。
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田中藩歴代藩主
 藩主名藩主年間石高備考
初代酒井忠利1601〜1609年1万石 
初代松平忠重1633〜1635年2万5千石 
初代水野忠善1635〜1642年4万5千石 
初代松平忠晴1642〜1644年2万5千石 
初代北条氏重1644〜1648年2万5千石 
初代西尾忠昭1649〜1654年2万5千石 
2代西尾忠成1654〜1679年2万5千石 
初代酒井忠能1679〜1681年4万石 
初代土屋政直1682〜1687年4万5千石 
初代太田資直1687〜1705年5万石 
2代太田資晴1705年5万石 
初代内藤弌信1705〜1712年5万石 
初代土岐頼殷1712〜1713年3万5千石 
2代土岐頼稔1713〜1730年3万5千石 
初代本多正矩1730〜1735年4万石 
2代本多正珍1735〜1773年4万石 
3代本多正供1773〜1777年4万石 
4代本多正温1777〜1800年4万石 
5代本多正意1800〜1829年4万石 
6代本多正寛1829〜1860年4万石 
7代本多正納1860〜1868年4万石 

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