尾張藩

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尾張藩概要
尾張藩概要: 慶長12年(1607)、徳川義直が甲府藩から47万2千石で入封し尾張藩を立藩、元和5年(1619)に56万3千石、寛文11年(1671)に62万石に加増され徳川御三家筆頭の地位が確立しました。藩の領域は尾張一国の他、三河、美濃、信濃、近江、摂津に飛び地があり、江戸時代初期は比較的余裕がありましたが3代目以降は財政が悪化し度々倹約令が出され引き締めを図っています。尾張藩は大藩だった為、梁川藩(大久保松平家)3万石、高須藩(四谷松平家)3万石の支藩を持ち、附家老領として犬山領(成瀬家)3万5千石、今尾領(竹腰家)3万石があり幕下御附属衆として寺部領(渡辺半蔵家)1万4千石、駒塚領(石河家)1万石、大高領(志水氏)1万石などがありました。初代から朝廷に近く、幕末には公武合体に尽力するなど幕政にも参加し大政奉還後には17代藩主徳川慶勝が新政府の議定となり、戊辰戦争時にも新政府側に付いています。尾張藩が新政府側として立場を鮮明にしたことから中山道や東海道周辺の諸藩がこぞって新政府側となり、新政府軍が殆ど抵抗なしに江戸にまで進軍し、大きな功績をあげています。
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尾張藩歴代藩主
 藩主名藩主年間石高備考
初代徳川義直1607〜1650年62万石 
2代徳川光友1650〜1693年62万石 
3代徳川綱誠1693〜1699年62万石 
4代徳川吉通1699〜1713年62万石 
5代徳川五郎太1713年62万石 
6代徳川継友1713〜1730年62万石 
7代徳川宗春1730〜1739年62万石 
8代徳川宗勝1739〜1761年62万石 
9代徳川宗睦1761〜1799年62万石 
10代徳川斉朝1799〜1827年62万石 
11代徳川斉温1827〜1839年62万石 
12代徳川斉荘1839〜1845年62万石 
13代徳川慶臧1845〜1849年62万石 
14代徳川慶恕1849〜1858年62万石 
15代徳川茂徳1858〜1863年62万石 
16代徳川義宜1863〜1869年62万石 
17代徳川慶勝1869年62万石 

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