岡崎藩

   建築と街並み秋田県の城下町愛知県の城下町>岡崎藩
岡崎藩概要
岡崎藩概要: 慶長7年(1602)、本多康重が上野国白井城群馬県渋川市白井)から5万石で入封し岡崎藩を立藩します。正保2年(1645)、4代利長が横須賀藩静岡県掛川市大須賀町)に移封になると、吉田藩愛知県豊橋市)から水野忠善が5万石で入封。宝暦12年(1762)、7代忠仁が唐津藩(佐賀県唐津市)移封になると古河藩茨城県古河市)から松平康福が5万4千石で入封。明和6年(1769)、康福が浜田藩島根県浜田市)に移封になると、浜田藩から本多忠粛が5万石で入封。以来、本多家が岡崎藩主を7代世襲し明治維新を迎えています。岡崎の地は徳川家縁の要衝だった事から譜代大名の中でも特に信任の厚かった人物が任命され、多くが幕政にも参加した為、支出も多く財政的には逼迫しています。幕末では公武合体に尽力、藩内では佐幕派と尊王派が激しく対立しましたが戊辰戦争時には新政府軍に恭順し東山道人馬兵食賄方を担当しています。
  スポンサーリンク
 

岡崎藩歴代藩主
 藩主名藩主年間石高備考
初代本多康重1601〜1611年5万石 
2代本多康紀1611〜1623年5万石 
3代本多忠利1623〜1645年5万5千石 
4代本多利長1645年5万5千石 
初代水野忠善1645〜1676年4万5千石 
2代水野忠春1676〜1692年4万5千石 
3代水野忠盈1692〜1699年4万5千石 
4代水野忠之1699〜1730年4万5千石 
5代水野忠輝1730〜1737年4万5千石 
6代水野忠辰1737〜1752年4万5千石 
7代水野忠任1752〜1762年4万5千石 
初代松平康福1762〜1769年5万4千石 
初代本多忠粛1769〜1777年5万石 
2代本多忠典1777〜1790年5万石 
3代本多忠顕1790〜1821年5万石 
4代本多忠考1821〜1835年5万石 
5代本多忠民1835〜1869年5万石 
6代本多忠直1869〜1871年5万石 

岡崎藩
岡崎藩:町並み 岡崎藩:町並み 岡崎藩:町並み 岡崎藩:町並み 岡崎藩:町並み
岡崎藩:町並み 岡崎藩:町並み 岡崎藩:町並み 岡崎藩:町並み 岡崎藩:町並み
岡崎藩城下町:名所・旧跡
岡崎城
岡崎城
岡崎城
伊賀八幡宮
伊賀八幡宮
伊賀八幡宮
松応寺
松応寺
松応寺
随念寺
随念寺
随念寺
大林寺
大林寺
大林寺
六所神社
六所神社
六所神社
大樹寺
大樹寺
大樹寺
 
白
 
 
白
 
 
白
 

愛知県の城下町一覧表
名古屋市(尾張藩):−城下町
・名古屋城・大須観音・万松寺・興正寺・相応寺・建中寺・東照宮・
那古野神社・主税町長屋門・蓮左文庫
岡崎市(岡崎藩):−城下町
・岡崎城・伊賀八幡宮・松応寺・随念寺・大林寺・六所神社・大樹寺
刈谷市(刈谷藩):−城下町
・刈谷城・市原稲荷神社・十念寺・椎の木屋敷・楞厳寺
豊橋市(吉田藩):−城下町
・吉田城・吉田神社・全久院・豊橋神明社・臨済寺
西尾市(西尾藩):−城下町
・西尾城・伊文神社・御剣八幡宮・盛巌寺
豊田市(誉母藩):−城下町
・七州城・桜城・洞泉寺
田原市(田原藩):−城下町
・田原城・城宝寺・長興寺・龍門寺・崋山神社

※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。写真や文章のコピーは行わないでください。