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挙母藩概要: 慶長19年(1614)、三宅康貞が1万石で入封し挙母藩を立藩、元和5年(1619)、2代康信が伊勢亀山藩へ移封になり挙母藩は一時廃藩となります。寛永13年(1636)に3代康盛が再び挙母藩主に復権、しかし、寛文4年(1664)、4代康勝が田原藩(愛知県田原市)に移封となり陣屋も廃されます。天和元年(1681)、石川藩から本多忠利が1万石で入封、本多家も城主格でなかった為、陣屋をこの地に構え、寛延2年(1749)に3代忠央が相良藩(静岡県牧之原市)に移封になると安中藩(群馬県安中市)から内藤政苗が入封しました。内藤氏は2万石ながら城主格だった為、本格的な城郭が計画され周囲400間、本丸には3重櫓、二ノ丸には2重櫓の石垣などか建設されますが度重なる水害の為、安永8年(1779)、2代学文はこの地での築城を諦め、高台に七州城を築き藩庁を移します。以来、七州城を中心として藩政が行われ7代>内藤文成で明治維新を迎えています。
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挙母藩歴代藩主
| 藩主名 | 藩主年間 | 石高 | 備考 |
初代 | 三宅康貞 | 1604〜1615年 | 1万石 | |
2代 | 三宅康信 | 1615〜1620年 | 1万石 | |
初代 | 三宅康盛 | 1636〜1657年 | 1万石 | |
2代 | 三宅康勝 | 1658〜1664年 | 1万石 | |
初代 | 本多忠利 | 1681〜1700年 | 1万石 | |
2代 | 本多忠次 | 1700〜1711年 | 1万石 | |
3代 | 本多忠央 | 1711〜1749年 | 1万石 | |
初代 | 内藤政苗 | 1749〜1766年 | 2万石 | |
2代 | 内藤学文 | 1766〜1794年 | 2万石 | |
3代 | 内藤政峻 | 1794〜1813年 | 2万石 | |
4代 | 内藤政成 | 1813〜1830年 | 2万石 | |
5代 | 内藤政優 | 1830〜1851年 | 2万石 | |
6代 | 内藤政文 | 1851〜1858年 | 2万石 | |
7代 | 内藤文成 | 1858〜1871年 | 2万石 | |
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挙母藩 |
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挙母藩城下町:名所・旧跡 |
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