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佐野陣屋概要: 佐野陣屋は文政8年(1825)、掘田正敦が藩庁を近江堅田(滋賀県大津市堅田)から佐野に移し改めて佐野藩(1万6千石)を立藩、文政11年(1828)に陣屋を築き藩庁としました(堀田家は城主格だった為、植野城や堀田佐野城などの別称があります。)。案内板によると「 掘田佐野城跡は植木町大原地内の植野馬門街道両側一帯にあり、東西540メートル、南北360メートル、周囲1.8キロメートルである。文政11年(1828)に築城され、41年後の明治2年掘田摂津守正頌が版籍奉還して廃城となった。城跡中央部に建てられた佐野城墟碑の碑文は、旧家老西村茂樹が書いたもので、旧藩士の心情を格調高い文で刻んでいる。 佐野市教育委員会」とあります。陣屋はかなり凹凸のある単郭で水堀と土塁で周囲を囲い4つ門がありました。廃城後は取り壊されましたが、大手門(佐野市指定有形文化財)が東光寺、裏門と中門が市内の民家に移築され、土塁の一部が残され堀田稲荷神社が建立されています。佐野城墟碑は昭和48年(1973)に佐野市指定文化財に指定されています。
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佐野陣屋
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