足利藩

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足利藩概要
足利藩概要: 足利藩の創建は元禄元年(1688)に江戸幕府5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の異父弟 本庄宗資が1万石で立藩したのが始まりとされます。元禄5年(1692)に本庄宗資が笠間藩4万石で移封、宝永2年(1705)に戸田忠利が甲斐国内8千石から足利郡・河内郡・都賀郡の3郡内1万1千石に加増され改めて足利藩を立藩します。戸田氏は譜代大名でしたが石高が低いこともあり城持ち大名ではなく陣屋構えに留まっています。歴代藩主は大坂定番や奏者番などを務め明治維新を迎え、明治2年(1869)に戸田忠行が藩知事となり、明治4年(1871)廃藩置県で足利藩は廃藩となります。文化面では日本最古の学校とされる足利学校が徳川家康により再興され、その後は足利藩の藩校として維持管理の助力を行っています。

足利藩歴代藩主
 藩主名藩主年間石高備考
初代本庄宗資1688〜16921万石 
初代戸田忠時1705〜17081万1千石 
2代戸田忠囿1708〜17321万1千石 
3代戸田忠位1732〜17361万1千石 
4代戸田忠言1736〜17741万1千石 
5代戸田忠喬1775〜18211万1千石 
6代戸田忠禄1821〜18471万1千石 
7代戸田忠文1847〜18561万1千石 
8代戸田忠行1856〜18711万1千石 

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鑁阿寺−足利藩の陣屋の極めて近所に鑁阿寺が境内を構えています。足利陣屋が市街地に没しているのに対し、鑁阿寺は元々足利家の館跡だった事もあり、境内をぐるりと囲むように水堀と土塁が残されています。鑁阿寺は足利家の氏寺だった事から、徳川将軍家が源氏の後裔を自称していた関係上に篤く庇護され、特に桂昌院(5代将軍徳川綱吉の生母)は多宝塔(栃木県指定文化財・徳川家歴代将軍の位牌が安置)を、11代将軍徳川家斉が御霊屋(栃木県指定文化財)を寄進しています。鑁阿寺は寺領も60石が安堵され、安定的な寺院経営が成され火事も少なかった事から、現在でも数多くの歴史的建築物が残され、特に本堂は鎌倉時代末期に建てられ、室町時時代中期に大改修された極めて貴重なもので国宝に指定されています。

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