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会津藩概要: 慶長5年(1600)に発生した関が原の戦いで西軍に付いた上杉景勝が米沢藩(山形県米沢市)に移封になり蒲生秀行が60万石で入封し会津藩を立藩します。寛永4年(1627)、2代忠郷が急死、嫡男が居なかった為、弟である蒲生忠知が家名を継ぎ会津藩ではなく松山藩(愛媛県松山市)30万石が認められました。代わって松山藩から加藤嘉明が40万石で入封しましたが、寛永20年(1643)、2代明成が会津騒動の咎から領地を返上し改易になります(後に明成の子共である明友が家名を再興し水口藩2万石の藩主として復権しています。)。同年保科正之が山形藩(山形県山形市)から23万石で入封し、松平家が9代に渡り藩主を歴任しました。初代藩主保科正之は2代将軍徳川秀忠の庶子で3代将軍徳川家光の腹違いの兄弟だった為、特に家光の信任が厚く幕政や藩政に大きく貢献した名君として知られました。正之の遺言には徳川宗家への絶対の忠誠が示され、これを破る藩主は子孫としては認めず、家臣も従ってはならない事が記されていました。その為、幕末では9代容保が遺言を守り最後まで幕府側に立ち新政府軍との交戦が繰り広げられました。家臣も士気が高かった為、少年兵で組織された白虎隊や婦女子隊なども結成され会津藩をあげて抵抗しましたが鶴ヶ城が落城寸前まで攻め込まれ敗北し会津藩は廃藩となり容保は鳥取藩(鳥取県鳥取市)預かりとなりました(嫡男である松平容大は家名存続が許され斗南藩3万石を立藩。)。
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会津藩歴代藩主
| 藩主名 | 藩主年間 | 石高 | 備考 |
初代 | 蒲生秀行 | 1601〜1612年 | 60万石 | |
2代 | 蒲生忠郷 | 1612〜1627年 | 60万石 | |
初代 | 加藤嘉明 | 1627〜1631年 | 40万石 | |
2代 | 加藤明成 | 1631〜1643年 | 40万石 | |
初代 | 保科正之 | 1643〜1669年 | 23万石 | |
2代 | 保科正経 | 1669〜1681年 | 23万石 | |
3代 | 松平正容 | 1681〜1731年 | 23万石 | |
4代 | 松平容貞 | 1731〜1750年 | 23万石 | |
5代 | 松平容頌 | 1750〜1805年 | 23万石 | |
6代 | 松平容住 | 1805年 | 23万石 | |
7代 | 松平容衆 | 1806〜1822年 | 23万石 | |
8代 | 松平容敬 | 1822〜1852年 | 23万石 | |
9代 | 松平容保 | 1852〜1869年 | 23万石 | |
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会津藩 |
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会津藩城下町:名所・旧跡 |
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