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相馬藩概要: 初代藩主相馬利胤は戦国時代敵対していた伊達家に対抗する為、隣接する佐竹家に従属していました。関が原の戦いの際、佐竹義宣は石田三成、上杉景勝と昵懇だった事もあり東西中立の立場を取り、秋田20万石に移封となり相馬家も連座し改易されました。改易を不服とした利胤は本多正信や伊達政宗に画策し領土が安堵され慶長7年(1602)には徳川秀忠の養女(旗本岡田元次の2女)を正室として迎えた為、相馬家地位も確立しました。以来、13代に渡り相馬家が藩主を歴任しました。
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相馬藩歴代藩主
| 藩主名 | 藩主年間 | 石高 | 備考 |
初代 | 相馬利胤 | 1602〜1625年 | 6万石 | |
2代 | 相馬義胤 | 1625〜1651年 | 6万石 | |
3代 | 相馬忠胤 | 1652〜1673年 | 6万石 | |
4代 | 相馬貞胤 | 1673〜1679年 | 6万石 | |
5代 | 相馬昌胤 | 1679〜1701年 | 6万石 | |
6代 | 相馬叙胤 | 1701〜1709年 | 6万石 | |
7代 | 相馬尊胤 | 1709〜1765年 | 6万石 | |
8代 | 相馬恕胤 | 1765〜1783年 | 6万石 | |
9代 | 相馬祥胤 | 1783〜1801年 | 6万石 | |
10代 | 相馬樹胤 | 1801〜1813年 | 6万石 | |
11代 | 相馬益胤 | 1813〜1835年 | 6万石 | |
12代 | 相馬充胤 | 1835〜1865年 | 6万石 | |
13代 | 相馬誠胤 | 1865〜1871年 | 6万石 | |
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相馬藩 |
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相馬藩城下町:名所・旧跡 |
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