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丸岡藩概要: 慶長5年(1600)の関が原の戦いにより西軍に組した当時の領主青山忠元が改易となり、新たに松平秀康が67万石で立藩した福井藩領に組み込まれました。丸岡城には家老である今村盛次が2万5千石で配されましたが、慶長12年(1607)に秀康が没すると嫡子忠直が幼少だった為、家臣同士の権力争いが激化し慶長16年(1611)には越前騒動(久世騒動)が起きます。敗れた派閥の旗頭だった今村盛次は配流となり、丸岡城には付家老として本多成重が4万石で配され、若い忠直を補佐しました。寛永元年(1624)主家である2代福井藩主松平忠直が改易になると、新たに高田藩(新潟県上越市)から松平忠昌(松平秀康の2男)が50万石で入封となり、これを機に成重は6千3百石が加増され福井藩から独立し丸岡藩を立藩します。元禄8年(1695)、4代藩主本多重益が家臣団をまとめ切れず改易となると糸魚川藩(新潟県糸魚川市)から有馬清純が5万石で入封し、以後明治維新まで有馬家が丸岡藩主を世襲します。丸岡藩は慢性的に財政が逼迫し家臣の削減や殖産に力を入れますが、度々一揆が起っています。8代藩主有馬道純は中興の祖とされ老中などの幕府の要職を歴任し、藩政の改革や藩の財政の建て直し、藩校平章館の開校、領内の地誌の編纂などを行いました。
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丸岡藩歴代藩主
| 藩主名 | 藩主年間 | 石高 | 備考 |
初代 | 本多成重 | 1613〜1646年 | 4万3千石 | |
2代 | 本多重能 | 1646〜1651年 | 4万3千石 | |
3代 | 本多重昭 | 1652〜1676年 | 4万3千石 | |
4代 | 本多重益 | 1676〜1695年 | 4万3千石 | |
初代 | 有馬清純 | 1695〜1702年 | 5万石 | |
2代 | 有馬一準 | 1703〜1733年 | 5万石 | |
3代 | 有馬孝純 | 1733〜1757年 | 5万石 | |
4代 | 有馬允純 | 1757〜1772年 | 5万石 | |
5代 | 有馬誉純 | 1772〜1830年 | 5万石 | |
6代 | 有馬徳純 | 1830〜1837年 | 5万石 | |
7代 | 有馬温純 | 1838〜1855年 | 5万石 | |
8代 | 有馬道純 | 1855〜1871年 | 5万石 | |
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