飯山藩歴代領主
飯山藩と小菅神社−小菅神社は古くから当地域を代表する霊場で、真偽の程は判りませんが行基菩薩や坂上田村麻呂、弘法大師空海など名立たる歴史的な著名人が訪れ、北信濃三大修験場に数えられていました。戦国時代には小菅神社の境内が越後国と信濃国の国境や、越後上杉家の信濃国侵攻の軍事的拠点となった飯山城に近かった事から上杉家から篤く帰依さえ、小菅神社奥社本殿が奉納されています。江戸時代に入ると飯山藩の庇護の対象となり慶長11年(1606)は皆川広照(正式には藩主ではなく、松代藩主松平忠輝の御附家老で飯山城の城代4万石が与えられています。)と皆川広泰が神馬図絵馬(板絵着色、額装、両面法量、縦15.0cm、横180.0cm・飯山市指定文化財)が2面奉納され、万治3年(1660)には松平忠倶が小菅神社里社本殿の改築、元禄10年(1697)は松平忠喬が小菅神社講堂の修復などを行っています。