田野口藩(龍岡藩)歴代領主
龍岡藩と新海三社神社−龍岡城五稜郭の城下町郊外に鎮座する新海三社神社は佐久郡三庄三十六郷の総社として信仰された古社で、戦国時代には武田信玄からも崇敬庇護され箕輪城攻防戦戦の前には戦勝祈願の願文が奉納され、社殿が造営されています。江戸時代に入り田野口藩(龍岡藩)領になると新海三社神は藩主の崇敬を受け庇護の対象となり、天保6年(1835)8月には松平石見守乗利(大給松平家9代当主)によって手水舎の再建が成されています。明治時代に入ると神仏分離が行われ、神宮寺は境内外に上宮寺として移転し、残された三重塔(国指定重要文化財)は新海三社神の宝蔵として申請した為破却が免れています。