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相良藩概要: 宝永7年(1710)、本多忠晴が1万5千石で入封し相良藩を立藩、延享3年(1746)、3代本多忠如が泉藩(福島県いわき市)に移封となり、泉藩から板倉勝清が1万5千石で入封します。勝清は寛永2年(1749)に安中藩(群馬県安中市)に移封になりると、代わって本多忠央が挙母藩(愛知県豊田市)から1万石で入封しますが宝暦8年(1758)に改易となります。その後、田沼意次が1万石で入封、10代将軍徳川家治の下で才能を発揮し5万7千石を領するようになりが田沼意次が失脚すると政敵だった松平定信の粛清にあい、相良藩も廃藩になっています。文政6年(1823)に意次の4男田沼意正は1万石で入封を許され相良藩を再度立藩し3代続いて明治維新を迎えています。
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相良藩歴代藩主
| 藩主名 | 藩主年間 | 石高 | 備考 |
初代 | 本多忠晴 | 1710〜1715年 | 1万5千石 | |
2代 | 本多忠通 | 1715〜1721年 | 1万5千石 | |
3代 | 本多忠如 | 1721〜1746年 | 1万5千石 | |
初代 | 板倉勝清 | 1746〜1749年 | 2万石 | |
初代 | 本多忠央 | 1749〜1758年 | 1万石 | |
初代 | 田沼意次 | 1767〜1786年 | 5万7千石 | |
2代 | 田沼意明 | 1787年 | 3万7千石 | |
初代 | 田沼意正 | 1823〜1836年 | 1万石 | |
2代 | 田沼意留 | 1836〜1840年 | 1万石 | |
3代 | 田沼意尊 | 1840〜1868年 | 1万石 | |
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相良藩 |
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相良藩城下町:名所・旧跡 |
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