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鳥海山龍頭寺概要: 龍頭寺の創建は大同2年(807)、慈照上人が開いたのが始まりと伝えられています。又、一説には貞観2年(860)慈覚大師が鳥海山に巣くう赤鬼、青鬼を退治し蕨岡に堂宇を設けたのが始まりとされ、鳥海山を龍に見立てこの地が龍の頭にあたる事から龍頭寺と称するようになったと伝えられています。近世以前は資料等が少なく詳細は不詳ですが当初は松丘山観音寺として33坊を擁し、大物忌神社の祭祀を司っていたとされます。又、一山一帯が山城のように防衛施設があり大きな影響力があったと推定され最上家などの支配者とも密接に関わりがありました。明暦元年(1655)以後に鳥海山龍頭寺と改称し、より鳥海山と密接することで蕨岡口が鳥海山修験の中でも大きな勢力を持つようになります。同じ鳥海山修験の矢島口との本社造営問題や山頂境界線争い、吹浦口との一之宮争いを悉く有利に裁定を受け次第に蕨岡口が主導的な地位を確立していきます。明治時代初頭に発令された神仏分離令により大物忌神社の仏式が廃され、龍頭寺以外の坊は全て神職となり、さらに明治5年(1872)に修験道廃止令の発令により次第に衰退していきます。
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| 鳥海山龍頭寺 | 
 
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