沼田藩

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沼田藩・歴史・観光・見所
沼田藩概要: 沼田領は戦国時代末期から真田家が支配し真田昌幸が上田城に居城を移すと長男信之がこの地を治めるようになりました。関が原の合戦では信之は徳川家康の養女(本多忠勝の娘)を正室としていた事などから東軍に付き西軍に付き九度山に配流となった本家の領地も合わせ9万5千石が安堵されました。沼田領3万石程度は嫡子真田信吉に譲りますが藩として正式に独立しているわけではなく、寛永11年(1634)に信吉、寛永15年(1638)に跡を継いだ熊之助が相次いで死去すると、信吉の弟である信政が2万5千石、熊之助の弟である信利が5千石が継ぎました。信政が本藩である松代藩を継いだ翌年死去した事で、次の松代藩主の座を巡り、信政の6男である信房と信利との間に御家騒動となり、結果的に信房が勝利し、敗れた信利は沼田領3万石の藩主として認める事で決着が着きました。しかし、信利は本家との対抗意識からか?実石3〜6万石程度しかなににも関わらず幕府には14万4石と申告し、結果、急速に藩政が悪化し幕府の命じたられた両国橋架け替えの用材が調達出来ず改易されました。その後一時天領となりますが元禄16年(1703)本多正永が2万石(後4万石)で入封に改めて沼田藩を立藩、黒田家を挟み寛保2年(1742)に土岐頼稔が3万5千石で入封すると12代土岐家が世襲し明治維新を迎えています。戊辰戦争の際は新政府軍に組みし姻戚関係にあった会津軍とも三国峠で戦っています。

沼田藩歴代藩主
 藩主名藩主年間石高備考
初代真田信之〜16163万石 
2代真田信吉1616〜16343万石 
3代真田熊之助1634〜16363万石 
4代真田信政1639〜16563万石 
5代真田信利1656〜16813万石 
初代本多正永1703〜17114万石 
2代本多正武1711〜17214万石 
3代本多正矩1721〜17304万石 
初代黒田直邦1732〜17353万石 
2代黒田直純1735〜17423万石 
初代土岐頼稔1742〜17443.5万石 
2代土岐頼煕1744〜17553.5万石 
3代土岐定経1755〜17823.5万石 
4代土岐頼寛17823.5万石 
5代土岐定吉1782〜17863.5万石 
6代土岐定富1786〜17903.5万石 
7代土岐頼布1790〜18133.5万石 
8代土岐頼潤1813〜18263.5万石 
9代土岐頼功1826〜18433.5万石 
10代土岐頼寧1843〜18473.5万石 
11代土岐頼之1847〜18673.5万石 
12代土岐頼知1867〜18713.5万石 

沼田藩と迦葉山弥勒寺−沼田真田家の最後の当主となった真田信利(信直)は天和元年(1681)11月22日に沼田藩を改易になった後、山形藩(山形県山形市)奥平家に預けられ、貞享2年(1685)、奥平昌章が宇都宮藩(栃木県宇都宮市)に移封になると、信利も宇都宮に移送され、貞享5年(1588)に宇都宮の地で死去しました。迦葉山弥勒寺(群馬県沼田市)は真田家と縁があったとみられ、境内には信利のものと伝わる宝篋印塔が建立されています。

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