前橋藩

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前橋藩・歴史・観光・見所
前橋藩概要: 前橋藩は江戸に近く交通の要衝だったことから有力譜代大名と親藩大名によって藩主が歴任された藩です。慶長6年(1601)に酒井重忠が3.3万石で入封し前橋藩を立藩したのが最初で徳川家と同族だったことから幕府内でも重用され忠世、忠清の代には大老職を任ぜられています。寛延2年(1749)に忠恭が播磨国姫路藩に転封となったことで越前松平氏が15万石で入封しましたが藩庁である前橋城が度重なる水害で大きな被害を受け明和4年(1767)に藩庁を川越へ移したことで名目上は前橋藩は廃藩となります。幕末になり前橋城の再建に着手し慶応3年(1867)に改めて前橋藩が17万石で再立藩されます。戊辰戦争では新政府軍に恭順しています。
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前橋藩歴代藩主
 藩主名藩主年間石高備考
初代酒井重忠1601〜16173.3万石 
2代酒井忠世1617〜163615.2万石 
3代酒井忠行163615万石 
4代酒井忠清1637〜168113万石 
5代酒井忠挙1681〜170715万石 
6代酒井忠相1707〜170815万石 
7代酒井親愛1708〜172015万石 
8代酒井親本1720〜173115万石 
9代酒井忠恭1731〜174915万石 
初代松平朝矩1749〜176715万石 
初代松平直克1867〜186917万石 
2代松平直方1869〜187117万石 

産泰神社−産泰神社は前橋藩主の祈願所として庇護された神社で、特に2代藩主酒井忠世(雅楽頭)は奥方の安産祈願を行い、見事念願成就すると神意に感謝し居城である前橋城方向を正面にした社殿を造営し前橋城の守護神としたとされます(元々の産泰神社の社殿は赤城山を背にする南向きだったものを、前橋城の方向である西向き変えたとされます)。その後も自筆の額面、薙刀、御篭などを奉納し、姫路藩(兵庫県姫路市)に移封後も度々代参を派遣して参拝しました。

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