下妻藩
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下妻藩・歴史・観光・見所
下妻藩概要:
下妻は古くからと結城氏の家臣だった多賀谷氏が下妻33郷の領主でした。多賀谷氏は結城家4大重臣の1家として勢力を拡大していきますが、独立した大名になるべく画策し、戦国時代末期には佐竹氏に従属し周辺の小田氏や小田原北条氏に対抗し領土を広げました。小田原の役では豊臣秀吉に臣従し6万石が安堵されますが結城家家臣という格式だった為、佐竹氏派と結城家派に分裂します。関ヶ原の合戦では結城家派は東軍に属し、佐竹氏派は東西中立を保った為、結城家派は結城家家臣3万石が認められ、佐竹氏派は領地が没収され佐竹氏に従い秋田に下向しました(多賀谷氏は檜山領主に赴任しています。)。江戸時代に入ると慶長11年(1606)に徳川頼房が10万石で入り下妻藩を立藩、元和元年(1615)からは松平忠昌(3万石)、その翌年からは松平定綱(1万石)が入り定綱が遠江掛川城に移封される一端廃藩となります。正徳2年(1712)井上正長が1万石で入封すると改めて下妻藩を立藩し、下妻陣屋を築き領内を整備します。下妻は城下町だけでなく瀬戸井街道の宿場町、小貝川、鬼怒川舟運の川港町として多くの物資が運び込まれ経済的に大きく発展しました。しかし、小藩だった為藩政は安定せず、藩主の在籍年が異様に短く他家から養子を迎えるなど不安定な要素が多い藩でした。幕末においても明確な方針が出せぬまま新政府側と会津藩側の両方に加担するなど混乱を極めました。
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下妻藩歴代藩主
藩主名
藩主年間
石高
備考
初代
多賀谷重経
1591〜1601
6万石
初代
徳川頼房
1606〜1609
10万石
初代
松平忠昌
1615〜1616
3万石
越前
初代
松平定綱
1616〜1618
3万石
久松
初代
井上正長
1712〜1720
1万石
2代
井上正敦
1720〜1753
1万石
3代
井上正辰
1753〜1760
1万石
4代
井上正意
1760〜1784
1万石
5代
井上正棠
1784〜1789
1万石
6代
井上正広
1789〜1814
1万石
7代
井上正建
1814〜1816
1万石
8代
井上正廬
1816〜1819
1万石
9代
井上正民
1819〜1828
1万石
10代
井上正健
1828〜1845
1万石
11代
井上正誠
1845〜1852
1万石
12代
井上正信
1852〜1856
1万石
13代
井上正兼
1856〜1866
1万石
14代
井上正巳
1866〜1871
1万石
下妻藩
下妻藩:城下町
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古城
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藩主崇敬社
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