藩校の残照:三重県編

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有造館
有造館:講堂正門(入徳門):藩校の遺構
所 属 ・津藩
開設者 ・津藩主10代藩主藤堂高兌
開校年 ・文政3年=1820年
施設名 有造館:講堂正門(入徳門)
場 所 ・三重県津市丸之内
建築年 ・文政3年=1820年
構 造 ・切妻、本瓦葺、一間一戸、四脚門
文化財 ・津市指定史跡
備 考 ・廃校後は唯一の遺構として様々な門として利用され、津城の跡地に移設。

崇広堂
崇広堂:赤門:藩校の遺構
所 属 ・津藩
開設者 ・津藩主10代藩主藤堂高兌
開校年 ・文久4年=1821年
施設名 崇広堂:赤門
場 所 ・三重県伊賀市上野丸之内
建築年 ・嘉永7年=1854年倒壊後に再建
構 造 ・木造平屋、切妻、桟瓦葺、長屋門形式
文化財 ・国指定史跡
備 考 ・通常門として利用され、門の木部が弁柄な為、赤門と呼ばれています。

崇広堂
崇広堂:御成門:藩校の遺構
所 属 ・津藩
開設者 ・津藩主10代藩主藤堂高兌
開校年 ・文久4年=1821年
施設名 ・崇広堂:御成門
場 所 ・三重県伊賀市上野丸之内
建築年 ・嘉永7年=1854年倒壊後に再建
構 造 ・切妻、桟瓦葺、一間一戸、薬医門
文化財 ・国指定史跡
備 考 ・藩主が御成になった際に利用した門で、講堂に直接の導線となっています。

崇広堂
崇広堂:玄関棟:藩校の遺構
所 属 ・津藩
開設者 ・津藩主10代藩主藤堂高兌
開校年 ・文久4年=1821年
施設名 ・崇広堂:玄関棟
場 所 ・三重県伊賀市上野丸之内
建築年 ・嘉永7年=1854年倒壊後に再建
構 造 ・玄関部入母屋、桟瓦葺、式台付玄関
文化財 ・国指定史跡
備 考 ・玄関に続く8つの部屋は教官など身分によって分けられていた。

鈴屋塾(私塾)
鈴屋塾(私塾):藩校の遺構
所 属 ・−
開設者 ・本居宣長
開校年 ・−
施設名 鈴屋
場 所 ・三重県松阪市殿町
建築年 ・元禄4年=1691年
構 造 ・木造2階建、切妻、桟瓦葺、平入
文化財 ・国特別史跡指定
備 考 ・2階の書斎に36個の鈴を吊り下げた事から鈴屋と呼ばれるようになった。

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