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津和野藩概要: 慶長5年(1601)坂崎直盛が3万石で入封し津和野藩を立藩します。直盛は津和野城の改修や城下町の整備、殖産興業の振興、新田開発、灌漑用水路の開削などを行い、慶長19、20年に行われた大坂の陣でも功をあげ4万3千石に加増されました。しかし、元和2年(1616)、千姫の婚儀に対し意義を唱え奪取計画を画策したとの嫌疑をかけられ自害、坂崎家は断絶となります。元和3年(1617)亀井政矩が鹿野藩(鳥取県鳥取市鹿野町)から4万3千石で入封すると以後、亀井家が津和野藩主を歴任に明治維新を迎えています。藩主亀井家は筆頭家老である多胡家と図り領内の発展に尽力し実石15万石とも云われ程に財政を確立、人材育成にも力を入れ天明6年(1786)に藩校養老舘を開設すると幕末から明治維新にかけて数多くの偉人を輩出する土壌を作り上げました。
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津和野藩歴代藩主
| 藩主名 | 藩主年間 | 石高 | 備考 |
初代 | 坂崎直盛 | 1601〜1616年 | 4万3千石 | |
初代 | 亀井政矩 | 1617〜1619年 | 4万3千石 | |
2代 | 亀井茲政 | 1619〜1680年 | 4万3千石 | |
3代 | 亀井茲親 | 1681〜1731年 | 4万3千石 | |
4代 | 亀井茲満 | 1731〜1736年 | 4万3千石 | |
5代 | 亀井茲延 | 1736〜1743年 | 4万3千石 | |
6代 | 亀井茲胤 | 1743〜1752年 | 4万3千石 | |
7代 | 亀井矩貞 | 1752〜1783年 | 4万3千石 | |
8代 | 亀井矩賢 | 1783〜1819年 | 4万3千石 | |
9代 | 亀井茲尚 | 1819〜1830年 | 4万3千石 | |
10代 | 亀井茲方 | 1831〜1839年 | 4万3千石 | |
11代 | 亀井茲監 | 1839〜1871年 | 4万3千石 | |
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津和野藩 |
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津和野藩城下町:名所・旧跡 |
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