十三湖概要: 十三湖は現在、全国有数の蜆の産地ですが、往時は複数の川が流れ込んでいた事から、 日本海から数多くの物資が一端十三湖の湖畔にある、十三湊を経由して津軽各地に運ばれるという交通の要衝でした。中世には十三湊に隣接する福島城を本拠に津軽半島一円を支配した安東家が台頭し、日本海沿岸に大きな影響を及ぼしました。安東家は、前九年合戦で源頼家に敗れた安倍氏の後裔を自称していますが、歴史的な根拠が無く謎に包まれている一族です。昭和初期に発見された「東日流外三郡誌」は事実と伝承にフィクションを織り交ぜた、所謂、「偽書」に近いものでしたが、当時は有力の資料として、公的機関が発刊した歴史書にも大きな影響を与えた為、なおさら安東家という存在が良く分からなくなっています。
例えば、安東家の衰退した原因の1つとして十三湖に大津波が来襲して、十三湊が壊滅的な被害を受けたとされますが、科学的な調査を行うと十三湖にそのような形跡は一切無い事が分かっています。
ただし、福島城や十三湊遺跡、山王坊遺跡などから往時の安東氏は相当大きな権力と財力があったのは間違い無く、現在の福井県小浜市にある羽賀寺の大檀那になるなど広域に活動していたのも事実です。
又、十三湊も室町時代末期に編纂された「廻船式目」の中で日本の10大港である「三津七湊」として記載されている事から、全国的にもかなり知られた存在だった事が分かります。
江戸時代に入ると弘前藩領に属し、藩からは弘前藩4浦又は津軽4浦又は津軽九浦などとして重点的に整備、保護され北前舟の寄港地にもなりました。明治時代以降は衰微して往時の港湾都市だった面影は余り感じられなくなっています。
十三湖:動画
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