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若桜藩(鳥取西館新田藩)概要: 慶長6年(1601)、山崎家盛が三田から3万石で入封し若桜藩を立藩、家盛は若桜鬼ケ城の近代化や城下町の整備を行います。元和3年(1617)2代家治は大坂の陣の功により備中成羽藩3万5千石に加増転封になると若桜藩は廃藩となり鳥取藩領に組み込まれます。元禄13年(1700)に当時の鳥取藩主池田光仲の5男清定が1万5千石が分知され鳥取西館新田藩を立藩、さらに享保5年(1720)2代藩主池田定賢は5千石が加増され2万石となりました。しかし藩庁は鳥取城下に設置され実態の無い形式だけの藩で、明治元年(1866)に10代藩主池田徳定の代にようやく領内に陣屋を設けて若桜藩を立藩しました。しかし、明治3年(1870)には廃藩となり再び鳥取藩領になりました。
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若桜藩歴代藩主
| 藩主名 | 藩主年間 | 石高 | 備考 |
初代 | 山崎家盛 | 1601〜1614年 | 3万石 | |
2代 | 山崎家治 | 1614〜1617年 | 3万石 | |
若桜藩(鳥取西館新田藩)歴代藩主
| 藩主名 | 藩主年間 | 石高 | 備考 |
初代 | 池田清定 | 1700〜1718年 | 1万5千石 | |
2代 | 池田定賢 | 1718〜1736年 | 2万石 | |
3代 | 池田定就 | 1736〜1768年 | 2万石 | |
4代 | 池田定得 | 1768〜1773年 | 2万石 | |
5代 | 池田定常 | 1773〜1802年 | 2万石 | |
6代 | 池田定興 | 1802〜1807年 | 2万石 | |
7代 | 池田定保 | 1808〜1847年 | 2万石 | |
8代 | 池田清直 | 1847〜1858年 | 2万石 | |
9代 | 池田清緝 | 1858〜1862年 | 2万石 | |
10代 | 池田徳定 | 1862〜1870年 | 2万石 | |
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若桜藩 |
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若桜藩城下町:名所・旧跡 |
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