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倉吉領(鳥取藩:自分手政治)概要: 慶長19年(1614)、大久保長安事件に連座し、里見忠義が館山藩(千葉県館山市)12万石から3万石で入封し倉吉藩を立藩します。ただし、流罪同然の扱いを受け、表高は3万石だったものの実石4千石程度しかなく、さらに元和3年(1617)に鳥取藩主池田光政により所領が没収され元和8年(1622)に忠義が死去すると倉吉藩も廃藩となります。その後、鳥取藩領に組み込まれ寛永9年(1632)、池田光仲が鳥取藩主になると家老である荒尾嵩就が8千石で倉吉に配されます。鳥取藩は大藩だった為、領内に有力家臣や一族を配し、一定の独立権を与たえ自分手政治が行われ、倉吉では打吹城の麓に陣屋が設けられ、代々荒尾志摩家が領主となりました。
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倉吉藩歴代藩主
| 藩主名 | 藩主年間 | 石高 | 備考 |
初代 | 里見忠義 | 1614〜1617年 | 3万石 | |
倉吉領(鳥取藩:自分手政治)歴代藩主
| 藩主名 | 藩主年間 | 石高 | 備考 |
初代 | 荒尾嵩就 | 1632〜1662年 | 8千石 | |
2代 | 荒尾宣就 | 1662〜1683年 | 8千石 | |
3代 | 荒尾秀就 | 1683〜1728年 | 1万1千石 | |
4代 | 荒尾勝就 | 1728〜1735年 | 1万1千石 | |
5代 | 荒尾甫就 | 1735〜年 | 1万1千石 | |
6代 | 荒尾斯就 | 〜1754年 | 1万1千石 | |
7代 | 荒尾厚就 | 1754〜1786年 | 1万1千石 | |
8代 | 荒尾為就 | 1786〜1853年 | 1万1千石 | |
9代 | 荒尾世就 | 1853〜1856年 | 1万1千石 | |
10代 | 荒尾直就 | 1856〜年 | 1万1千石 | |
11代 | 荒尾光就 | 〜年 | 1万1千石 | |
12代 | 荒尾嘉就 | 〜年 | 1万1千石 | |
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倉吉領 |
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倉吉領・陣屋町:名所・旧跡 |
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