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大溝藩概要: 大溝藩は元和5年(1619)、分部光信が伊勢上野藩から2万石で入封し立藩したのが始まりです。分部家は城主格で無かった為、大溝城の3之丸を改修し陣屋を設け藩庁としました。明暦4年(1658)、2代嘉治は妻の叔父に当たる池田長重と口論となり両者とも死亡する事件が起こり、3代目は嘉高が継いだものの、嗣子無く死去した為、分部家直系は断絶します。4代目は松山藩から池田長信(嘉高の母方の縁戚)を婿養子に迎え大溝藩は存続しますが寛文9年(1669)と延宝4年(1676)に大洪水が発生し極端に年貢が減少し藩財政が逼迫します。8代光賓は藩政改革を断行し倹約や藩校修身堂の開校などを行いますが大きな成果が実りませんでした。11代光貞は京都守護を勤め、朝廷との関係が深かったことから幕末は新政府軍に組し明治維新を迎えています。
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大溝藩歴代藩主
| 藩主名 | 藩主年間 | 石高 | 備考 |
初代 | 分部光信 | 1619〜1643年 | 2万石 | |
2代 | 分部嘉治 | 1643〜1658年 | 2万石 | |
3代 | 分部嘉高 | 1658〜1667年 | 2万石 | |
4代 | 分部信政 | 1667〜1714年 | 2万石 | |
5代 | 分部光忠 | 1714〜1731年 | 2万石 | |
6代 | 分部光命 | 1731〜1754年 | 2万石 | |
7代 | 分部光庸 | 1754〜1785年 | 2万石 | |
8代 | 分部光賓 | 1785〜1808年 | 2万石 | |
9代 | 分部光邦 | 1808〜1810年 | 2万石 | |
10代 | 分部光寧 | 1810〜1831年 | 2万石 | |
11代 | 分部光貞 | 1831〜1870年 | 2万石 | |
12代 | 分部光謙 | 1870〜1871年 | 2万石 | |
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大溝藩 |
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大溝藩城下町:名所・旧跡 |
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