燈籠:栃木県編 |
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大谷寺 |
場 所 | ・栃木県宇都宮市大谷町 |
制作年 | ・享保元年=1716年 |
制作者 | ・戸室将監藤原元蕃 |
奉納者 | ・高橋善左衛門吉勝 |
材 質 | ・銅製 |
寸法等 | ・ |
文化財 | ・宇都宮市指定文化財 |
備 考 | ・大谷寺は弘仁元年に巡錫で当地を訪れた弘法大師空海が霊地と悟り、岸壁に直接千手観音像を彫刻し開創したと伝わる寺院です。中世は長く当地を支配した宇都宮氏の帰依により大いに栄えましたが、戦国時代末期に宇都宮氏の没落により一時衰微しました。江戸時代に入ると宇都宮藩主奥平忠昌の帰依を受け伝海和尚が再興を果たしています。その後も藩主となった松平輝貞や奥平昌成などが堂宇の営繕工事を行っています。又、大谷寺を再興した伝海和尚が天海大僧正の弟子だった事から日光山輪王寺の末寺となり、寛永寺法親王が日光東照宮参拝の折には大谷寺にも参拝しています。
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大前神社 |
場 所 | ・栃木県真岡市東郷 |
制作年 | ・天明3年=1783年 |
制作者 | ・丸山善太郎藤原重昌 |
奉納者 | ・− |
材 質 | ・青銅製 |
寸法等 | ・総高3.0m |
文化財 | ・栃木県指定文化財 |
備 考 | ・大前神社は延喜式神名帳に記載されている古社で、貞観4年に慈覚大師円仁が大前山金剛院千妙寺を開山すると神仏習合しました。平安時代には平将門、中世は領主である芳賀氏、江戸時代初期には真岡藩の藩主である稲葉正成の帰依により社領の安堵や社殿の営繕工事が行われています。 |
那須神社 |
場 所 | ・栃木県大田原市南金丸 |
制作年 | ・寛永19年=1642年 |
制作者 | ・− |
奉納者 | ・大関高増 |
材 質 | ・石製(芦野石) |
寸法等 | ・− |
文化財 | ・国指定重要文化財 |
備 考 | ・那須神社は仁徳年間に奈良別命が金の瓊(美しい玉)を埋設し、その上に祠を設けて開創したと伝えられています。平安時代初期には坂上田村麻呂が宇佐八幡宮の御霊を勧請し戦勝祈願した事から金丸八幡宮と称するようになりました。平安時代後期には領主となった那須家、江戸時代に入ると黒羽藩の藩主大関家から帰依を受け大関高増は社殿を造営しています。又、松尾芭蕉も奥の細道の際、那須神社を訪れており「おくのほそ道風景地」として国指定名勝に指定されています。
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木幡神社 |
場 所 | ・ |
制作年 | ・元和3年=1617年 |
制作者 | ・− |
奉納者 | ・松平土佐守忠義 |
材 質 | ・鉄製 |
寸法等 | ・− |
文化財 | ・矢板市指定文化財 |
備 考 | ・木幡神社は延暦年間に坂上田村麻呂が許波多神社の御霊を勧請し開創されたと伝わる神社です。その後、藤原秀郷や源頼義、義家父子、源頼朝が戦勝祈願や愛犬の病気平癒の祈願が行われています。中世に入ると領主である塩谷家の崇敬社となり篤く庇護されています。鉄灯籠は江戸時代初期に山内忠義が日光東照宮に寄進したもので何らかの理由から木幡神社の境内に移されています。 |
高勝寺 |
場 所 | ・栃木県栃木市岩舟町静 |
制作年 | ・宝暦13年=1763年 |
制作者 | ・丸山善太郎毎昭 |
奉納者 | ・− |
材 質 | ・青銅製 |
寸法等 | ・4基 |
文化財 | ・栃木市指定文化財 |
備 考 | ・岩船山高勝寺は宝亀8年に大山寺の僧侶である弘誓坊明源和尚が霊夢で出現した地蔵菩薩の御告げに従い開創されたと伝わる寺院です。江戸時代に入ると徳川家光の側室である宝樹院が高勝寺で安産祈願を行い、見事4代将軍徳川家綱が無事に生まれる事が出来た事から、徳川将軍家から庇護される事になりました。信仰が広がると「関東の高野山」とも呼ばれるようになり、木之本地蔵院と猿羽根山地蔵尊と共に日本三大地蔵尊に数えられています。
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