燈籠:茨城県編 |
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鹿島神宮 |
場 所 | ・茨城県鹿嶋市宮中 |
制作年 | ・元和5年=1619年 |
制作者 | ・− |
奉納者 | ・藤原朝臣安藤対馬守重信 |
材 質 | ・石製 |
寸法等 | ・搭高256cm |
文化財 | ・茨城県指定文化財 |
備 考 | ・鹿島神宮が何時頃から祭られているのかは判りませんが、大生神社が元宮的な立場とも云われて、オフ氏が大和国から常陸国に移住した際に大和国から勧請された神とも云われています。鹿島神宮は常陸国風土記にもその名が見られ、明確な記録として残っているものとしては東国最古の神社とも云われています。その後も日本三代実録や延喜式神名帳にも記載され、常陸国一之宮として為政者や歴代領主から保護の対象となりました。特に祭神であるタケミカヅチは武神だった事から大名や武家から信仰の対象となり広く信仰を広めています。 |
水戸東照宮 |
場 所 | ・茨城県水戸市宮町 |
制作年 | ・慶安4年=1651年 |
制作者 | ・− |
奉納者 | ・水戸藩初代藩主徳川頼房 |
材 質 | ・青銅製 |
寸法等 | ・高さ200cm |
文化財 | ・水戸市指定文化財 |
備 考 | ・水戸東照宮は元和7年に徳川頼房が開創した神社です。水戸徳川家は徳川御三家だった事もあり、徳川家康を祭る水戸東照宮を篤く保護し、壮麗な社殿が造営され、梵鐘や燈籠など意匠的にも優れたものが奉納されました。太平洋戦争の戦禍により多くの遺物が焼失しましたが徳川頼房が奉納した銅造燈籠は免れ水戸市指定文化財に指定されています。
水戸東照宮(茨城県水戸市):動画
茨城県水戸市:動画
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大杉神社 |
場 所 | ・茨城県稲敷市阿波 |
制作年 | ・− |
制作者 | ・− |
奉納者 | ・江戸幕府4代将軍徳川家綱 |
材 質 | ・青銅製 |
寸法等 | ・高さ約3m |
文化財 | ・稲敷市指定文化財 |
備 考 | ・大杉神社は景雲元年に勝道上人が霊気漂う大杉に祈願し見事当地に蔓延る疫病を押えた事から大神神社から三輪明神の御霊を勧請し開創したと伝わる神社です。その後、快賢が別当寺院となる安穏寺を創建、鎌倉時代には今宮神社の御霊を合祀して今宮大杉大権現と呼ばれるようになっています。江戸時代には天海大僧正が大杉神社で雨乞い祈祷を行った関係で逢善寺の末寺のまま日光山輪王寺の直兼帯寺院となり幕府から保護されるようになっています。
大杉神社(茨城県稲敷市):動画
茨城県稲敷市:動画
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頼政神社 |
場 所 | ・茨城県古河市錦町(観音寺町) |
制作年 | ・元禄9年=1696年 |
制作者 | ・− |
奉納者 | ・松平輝貞(古河藩主松平信輝の弟) |
材 質 | ・石製 |
寸法等 | ・− |
文化財 | ・古河市指定文化財 |
備 考 | ・平安時代末期、源頼政の首を敵に見つからないように抱えて当地まで逃避した家臣が急に動けなくなった事から、家臣は主はここに鎮まりたいと感じ、首を埋葬し祠を設けて祭ったのが頼政神社の始まりとされます。その後、当地に古河城が築城されると頼政神社は鎮守社として歴代城主から帰依され、特に松平信輝と松平輝貞兄弟の信仰が篤く、輝貞が高崎藩主に就任すると高崎城の鎮守社として城下にも頼政神社(高崎市)を創建しています。
頼政神社(茨城県古河市):動画
茨城県古河市:動画
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