燈籠:群馬県編

  建築と街並み(ホーム)燈籠>群馬県

世良田東照宮
世良田東照宮の燈篭を写した画像
場 所 ・群馬県太田市世良田町
制作年 ・明暦4年=1658年
制作者 ・中林仲次
奉納者 ・秋元長朝・秋元喬朝
材 質 ・鉄製
寸法等 ・高さ4.95m
文化財 ・附:国指定重要文化財
備 考 世良田東照宮は寛永13年に祖父である徳川家康の遺言を破り日光東照宮の大造営を命じた徳川家光が、遺言に従った徳川秀忠が造営した日光東照宮の社殿を移築して開創した神社です。世良田の地は徳川家発祥の地として特別待遇され、その象徴として世良田東照宮を創建、別当寺院として新田家の菩提寺である長楽寺を再興しています。

世良田東照宮(群馬県太田市):動画

群馬県太田市:動画

榛名神社
榛名神社の燈篭
場 所 ・群馬県高崎市榛名山町
制作年 ・元亨3年=1323年
制作者 ・芳十光長
奉納者 ・沙弥願智
材 質 ・鉄製
寸法等 ・−
文化財 ・群馬県指定文化財
備 考 榛名神社は榛名山を御神体とする神社で、境内には奇岩怪石が多く まさに聖域に相応しい雰囲気が感じられます。延喜式神名帳には式内社として記載され古くから格式の高い神社として知られていたようです。江戸時代には幕府の庇護される一方で、天海大僧正の影響下に入り別当寺院が寛永寺の末寺となっています。江戸時代後期になると江戸を中心に「榛名講」が各地で結成され、多くの参拝者が訪れるようになり門前町には数多くの宿坊が設けられ活況を呈しました。

榛名神社(群馬県高崎市):動画

群馬県高崎市:動画

妙義神社
妙義神社の燈篭 妙義神社の燈篭
場 所 ・群馬県富岡市妙義町妙義
制作年 ・元治元年=1864年
制作者 ・−
奉納者 ・養蚕関係者223人
材 質 ・青銅製
寸法等 ・総高4.35m
文化財 ・富岡市指定文化財・ぐんま絹遺産
備 考 妙義神社は妙義山を神格化した波己曽大神を祭る神社として開創された神社です。日本三代実録には授上野国正六位上波己曽神従五位下、上野国神階帳には従二位波己曾大明神と記され古くから格式の高い神社として認識されていた事が判ります。江戸時代初期に長清法印が中興すると別当寺院は寛永寺の末寺となり幕府の庇護を受ける事になりました。信仰が広がると門前町も発展し妙義千軒ともいわれ、伊能忠敬も態々足を延ばして参拝しています。明治時代に入ると仏教色の強い波己曽大神は排除され、代わって日本武尊が勧請されています。

妙義神社(群馬県富岡市):動画

群馬県富岡市:動画

貫前神社
貫前神社の燈篭
場 所 ・群馬県富岡市一ノ宮
制作年 ・慶応2年=1866年
制作者 ・−
奉納者 ・養蚕関係者1544人
材 質 ・青銅製(唐銅製)
寸法等 ・高さ3.95m
文化財 ・富岡市指定文化財・ぐんま絹遺産
備 考 貫前神社は物部姓磯部氏が氏神である経津主神と当地に入植した渡来人の祖神と思われる姫大神の2柱を祭る為に開創された神社です。古代の上野国は上毛野氏が支配し、祖神を祭る赤城神社が信仰の中心だったと思われますが、安閑天皇元年に発生した武蔵国造の乱で上毛野氏が関わり朝廷方から粛清された事で、貫前神社を重要視するようになったようです。延喜式神名帳には名神大社として記載され上野国一宮として為政者や歴代領主からも篤く庇護されています。江戸時代には徳川家将軍家から庇護され社殿が造営されています。

貫前神社(群馬県富岡市):動画

上野国一社八幡宮
上野国一社八幡宮
場 所 ・群馬県高崎市八幡町
制作年 ・慶応3年=1867年
制作者 ・−
奉納者 ・野澤屋惣兵衛(茂木惣兵衛:糸繭商人)
材 質 ・青銅製(唐銅製)
寸法等 ・総高5.01m
文化財 ・高崎市指定重要文化財・ぐんま絹遺産
備 考 上野国一社八幡宮は平安時代に源頼信が開創したと伝わる神社です。源頼義が前九年合戦の戦勝祈願を行い、勝利を収めると息子である源義家が社殿を改修しています。この故事から後裔である源頼朝や、源氏一族である新田氏、足利氏、武田氏が篤く庇護しています。江戸時代には徳川将軍家から社領100石が安堵されています。

上野国一社八幡宮(群馬県高崎市):動画

伊勢崎河岸の石灯籠
場 所 ・群馬県伊勢崎市三光町
制作年 ・文政2年=1819年
制作者 ・−
奉納者 ・船問屋武孫右衛門、荷主瀬川太兵衛
材 質 ・石造
寸法等 ・−
文化財 ・伊勢崎市指定重要文化財
備 考 ・広瀬川舟運の安全と商売繁盛を祈願し建立したもので、舟運の関係者から浄財を募っています。

※リンクは自由ですが、文章や画像のコピーは禁止しています。